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及川徹と岩泉一に関する一考察

漫画『ハイキュー!!』の登場人物である青葉城西高校の及川徹と岩泉一に関して考えたことや思ったことをまとめておくブログです。

阿吽考察 岩泉一の役割

 結果として岩泉は「ドンピシャ」のトスを決める事ができなかった。しかし、それがあのトスを無意味にするのかというとそれは違うと思う。あのトスの意味は、及川が抱える才能との葛藤の物語が完結する事にあるからである。

 あのトスはドンピシャのタイミングで入るスパイカーがいて、それがスパイカーにとって最高のものであったなら、セッターの領分としては申し分のない出来だったと言って良いだろう。

「『スパイカーが打ちやすいトス』以上に最高のトスは無えんだよ」

10巻83話 烏養一繋


 あのトスは「ドンピシャ」と形容されたわけだが、誰にとってドンピシャなのかといえば、それはスパイカーである岩泉にとってである。つまり岩泉にとっての最高のトスであったはずだ。

「いつも通りでいい 俺に勝負させろ」

15巻127話 岩泉一

 そしてそのいつも通りの、最高のトスが上がったのなら、そこから先は岩泉自身が言うように、岩泉の勝負なのである。岩泉自身もその事はよくわかっていたはずであり、だからこそ彼は凄まじい後悔に襲われた。

 しかし、岩泉は自らの勝負には負けてしまったわけだが、及川の領分に対してコミットする事はできた。岩泉がドンピシャに跳んでいなければ、セッターの領分としてのトスが完成しているのかどうかはわからないからだ。岩泉が跳んだからこそ、あのトスはスパイカーにとって申し分のないものであると証明され、その事で及川は才能との葛藤にひとつの答えを得た。岩泉は及川を一段階上へ押し上げる手助けをしたと言って良いだろう。だから岩泉がスパイクを決めきれなかった事によってトスそのものが無意味になる事はないのである。

 「序文」において、あのトスは及川の物語と岩泉の役割に結末を与えたと言った。及川の物語とは、才能との葛藤である。その流れと結末についてはこれまで述べてきた通りだ。
 それでは岩泉の役割とはなんだっただろうか。

 岩泉は及川のために作り込まれていったキャラクターである。それについては「岩泉一の成り立ち」を参照されたいが、その中から更に役割を限定するならば、劣等感や焦りから大切な事を見失いがちな及川の自意識に対して働きかけ、彼がドツボから抜け出す手助けをするために作られたのだと考えている。

 及川にとっての難問は行く手を阻むライバルよりも、それを必要以上に高い壁と思い込んでしまう自意識だったと思う。「及川徹の物語」でも「敵わない」という固定観念が彼の成長を閉ざしてしまっていたのではないかと解釈してきたところである。また、北川第一時代には焦りから周囲が見えなくなって自分をも見失い、IHのサーブミスの時にも悲願に想いを馳せるあまりに目の前が見えなくなっていた。
 天才たちの存在はむしろ及川を突き動かす原動力にもなったと考えられるが、一方で及川自身の自意識が枷になってしまう事が度々あった。及川が才能の葛藤から抜け出すにはその枷を外す必要がある。

 それに対して補助役となっていた存在が岩泉というキャラクターである。天才コンプレックスを口にする及川に抗議し続け、周りが見えなくなった及川にその事実を突きつけ、その目を醒まさせてきた。
 ただし注意したいのは、あくまで補助役であると言う事である。岩泉が及川に指摘する事は、懊悩に対する答えではなく、懊悩の末に周囲が見えなくなってしまっているという現状だけなのだと思う。及川はおそらく自分が自意識の枷に囚われている時、抜け出すための道だけではなく、自分が囚われてしまっている事自体に気付いていない。

「今の俺じゃ白鳥沢に勝てないのに余裕なんかあるわけない!! 俺は勝って全国に行きたいんだ 勝つために俺はもっと」

7巻60話 及川徹

 北川第一時代にがむしゃらなオーバーワークをしたが、それもそれが正しい、そうするしかないと考えての事だったろう。また、IHの終盤にサーブミスをした時にも、次のローテーションでサーブに向かう時の表情は固く、その時に至るまでなぜミスをしたのかはっきりとわかっていなかったと推察される。
 岩泉はそこでどうするのかというと、ああしろ、こうしろと言うのではなく、表現は違えども、ただ及川に今のお前は周囲が見えていないと告げるのである。

「〝6人〟で強い方が強いんだろうがボゲが!!!」

7巻60話 岩泉一

「目の前の相手さえ見えてない奴がその先に居る相手を倒せるもんかよ」

8巻67話 岩泉一

 岩泉が口にする事は、特段革新的な事ではない。及川にとってもおそらく当たり前の事なのである。なぜなら岩泉の言葉を聞いた及川の反応は、未知の概念に出会ったと言うよりは、すでに自分の中でわかっていたはずの事を指摘されて虚を突かれた様子だからである。焦りから知らず我を忘れ、普段の及川であれば分かりきっている当たり前の事を見失っているように見えるのだ。

 このように岩泉は及川の非を糾弾はするが、せいぜい及川が道を誤った事に気付かせるだけで、その先の正解まで提示したり、押し付けたりしているわけではない。正解はあくまで及川自身が納得できるよう自分で見つけているように見える。

「味方の100%を引き出してこそのセッター どんな相手だろうとも だよ」

8巻67話 及川徹

 及川が自分で正解を見つけ出すまでに、焦りや苦しみから我を忘れてしまっていたなら、その事を指摘して自意識を正常に戻してやるのが岩泉の役割、つまりあくまで補助役なのである。

 さて、そう考えるとあのトスにドンピシャのタイミングで応えた事は、岩泉の役割の集大成だったと言って良いと思う。
 あのトスは及川が長らく患っていた「自分にはできない」という自意識の呪縛を自ら捨て去ろうとしたものだった。岩泉は及川のそうした態度には何度も苦言を呈し、苛立ちを見せてきた。2人にとってこの難問は、一番の長丁場として横たわってきたものだったに違いない。岩泉はそれこそ本編において2人が初めて会話をしたその時から、できないと自分の限界を決めつける及川に不満そうだった。

 それを及川が自ら一歩踏み出そうとした。冒頭で述べたように、その一歩は常識破りのトスがスパイカーにとって最高のものとして上がったなら、その時点で達成される性質のものだ。「そんなトスは上げられない」だった意識が「そんなトスを上げる事もできる」と変化するのに得点の可否は関係がない。
 だからあのトスは、岩泉がドンピシャのタイミングで合わせられた時点で、及川を自意識の呪縛から解放しているのである。岩泉は得点こそできなかったが、及川の意志に一瞬の躊躇いなく応え、間違いなく及川が迷いから抜け出すための補助役を全うしたのである。

 そしてこの経験がある以上、及川が再び自意識の呪縛に囚われ、完全に足を止めてしまう事はないのだろう。あれだけ深くできないと思い悩んでいた事ができてしまったのだ。これから及川が進む道は、悩み、苦しむような事がおそらく山とあるだろう。しかしこれからの及川はそこで「どうせできない」と思考停止してしまう事なく、もがきながらも前向きに「どうやったらできるか」と考え、手段を獲得していけるだろう事を予見させる。

 及川が自律的に自意識を克服できるようになったのならば、岩泉はもうこれ以上補助をする必要もなくなる。ドンピシャのトスは及川の才能との葛藤という物語に結末を与えたと同時に、岩泉に当初与えられたであろう役割を全うさせたものでもあった。

 ところで、前述の通り及川はこれから先、完全に足を止めてしまう事なく、難題を乗り越えていけると考えられるが、それについて更にだめ押しをしたのが番外編である。
 岩泉は及川の未来についてこう予言する。

「お前は多分じいさんになるくらいまで幸せになれない」
「たとえどんな大会で勝っても完璧に満足なんかできずに一生バレーを追っかけて生きていく」

17巻番外編 岩泉一

 岩泉は、及川は幸せにはなれないと言う。満足できずに追いかけ続けるという事は、影の人物が言うところの「辛く苦しい」道だからなのだろう。満足できない自意識は及川そのものである。一度自意識の呪縛を乗り越えたとは言え、完全に断ち切れるものではない。今の自分に満足できず、焦り、苦しみ、自滅しかける及川の姿を見て、叱咤してきた岩泉だからこそ、これからの道のりにおいても、及川が懲りずに悩み苦しむ事は自明の理であったのだと思う。その自意識との戦いをこの先も続けていくのだろう及川を岩泉は前述の台詞で示唆して、そしてこう続けた。

「でも迷わず進めよ お前は俺の自慢の相棒でちょうスゲェセッターだ」

17巻番外編 岩泉一

 岩泉は最高の賛辞をもって、歩みを止めるなと及川の背を押した。最後まで岩泉は岩泉だったと思った。


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