及川徹と岩泉一に関する一考察

漫画『ハイキュー!!』の登場人物である青葉城西高校の及川徹と岩泉一に関して考えたことや思ったことをまとめておくブログです。

ハイキュー!! 144話 感想

岩ちゃんとレシーブ

IH終わった頃からずっと言い続けている事が3つある。

  • 岩ちゃんと花巻のレシーブカッコいい、色気ある、ファインプレー多い気がする、ステキ
  • 岩ちゃんは出番の割に内面描写が少ないキャラクターだから掴みづらい
  • 岩ちゃん何を思ってバレーやってんのかわからない

つまりずっと地味にトキメキ続けてきた岩ちゃんのレシーブに関するシーンで、岩ちゃんがモノローグを発し、しかもそれがバレーの醍醐味に関わる部分だったっていう、新たなる萌えではないんだけど今までの総まとめとしてこれ以上ないようなワンシーンがこの144話ぶちこまれていた。
「良かった」の部分で私も「良かった」って思って泣きそうになっていた。萌える・燃える・カッコいいとかではなくて読んだ瞬間にこれまでの岩ちゃんに想いを馳せてさめざめとしてしまった。

作品通念

とはいえ、岩ちゃんが語った感触は、また作品通念的なものなんだろうと思う。
この感触は岩ちゃんだけでなくこれまでレシーブに寄せて描かれてきたキャラたちがある程度普遍的に感じてきたことではないかと思うからだ。

  • …小っちぇえ頃はスパイクだけが楽しくてそればっかやってた

日向も影山にスパイクをお預けされてがっかりとしていた。つまりスパイクだけが打ちたいという気持ちはある程度あるあるなんじゃないかと思う。
バレーに限らずそうだと思う。漫画『SLAM DUNK』(井上雄彦作)でも主人公のバスケ初心者・桜木花道は最初からダンクがやりたいとか言ってた。形から入りたかったり、華々しい事を最初にやってみたくなるのは何かに限らず普遍的な感情だとも思う。

  • レシーブの快感を知って良かった

レシーブは作中でも地味だのなんだの言われている。しかし同時にそれがバレーの肝である、醍醐味であるとも何度も言われている。そういう描写の総括。
最初のうわべだけの楽しみから、真髄の快感に気付いて練習してきたからこそ拾えた一本。たぶん今までの描写からして大地さんもそういう事あったんじゃないかと思うし、縁下さんにもレシーブの快感を覚えたワンシーンがあった。きっとこれもバレーにはまり込んでいく中での普遍的な思いなのかもしれない。

岩ちゃんが任されたのはひとつのレシーブに関するハイキューの立ち位置のまとめだ。
正直岩ちゃんにレシーブに関する描写が任せられるほど、岩ちゃんのレシーブに注目してた人ってどれくらいいるの?とは思う。別に岩ちゃんはレシーブを代表する選手ではないからだ
ただ岩ちゃんはバレーに関して特にこれといったコンセプトがなく、青城のオールラウンダーな気質を受け継いで小器用な感じになっていたし、だからレシーブの描写でも使えたんだろうか。それとも古舘先生は意識してらっしゃったのかな。
岩ちゃんがレシーブを語る事に、特に岩ちゃんに注目していない人は違和感があったんだろうか、なかったんだろうか。

作品通念的といったのには深読みしすぎかもしれないけどもう1つ理由がある。
この144話だけれども、私はIH青城戦の第3セットで描かれた大地さんの「こいつらも同じだ」のシーンの再現のように見える。岩ちゃんと大地さんがそれぞれレシーブで魅せる場面だ。
8巻では「負けてたまるか」という思いの共通性が描かれた。
それと同じに144話でも共通している思いが描かれているように見えた。
岩ちゃんの「良かった」はきっと大地さんにも共通しているし、大地さんの走馬灯は岩ちゃんもきっと持ってるものなんじゃないかな。だから岩ちゃんだけの、というよりは、レシーブを磨いてきた者たちのモノローグにも見える。

そんなわけで岩ちゃんのこの台詞は作品通念的な側面も大きいんじゃないかと思う。
いい加減自分でも、それならどういう描写が来たら岩ちゃんは自分の事を語れるキャラになったといえるんだ?という疑問はあるんだけども。自己解釈に凝り固まって岩ちゃんの台詞として見ようとせずに、作品通念として解釈しようとしてしまっているんじゃないか?とか。
でもやっぱりまだ岩ちゃんがキャラクターとして独立したとは言い切れないと思っている。
「岩ちゃんの内面は?」「岩ちゃんは何を思ってバレーしている?」という疑問への回答はまだできなさそう。少し見えただけ。
伊達工戦からじわじわと岩ちゃんのための描写も増えて来たのかなとは思う。
もう最終局面まできたから大々的クローズアップがあるとは思わないけど、春高は及川さんだけでなく青城全体にスポットが当たった話で、岩ちゃんもその範囲でスポット当てられてんだと思う。