及川徹と岩泉一に関する一考察

漫画『ハイキュー!!』の登場人物である青葉城西高校の及川徹と岩泉一に関して考えたことや思ったことをまとめておくブログです。

北川第一時代の及川・岩泉・影山について―60話考

 7巻に収録されている60話「進化」は、『ハイキュー!!』同人界で60話ショックという言葉が生まれるほどに衝撃を与えた話だった。それと同時に及川と岩泉の影山に対する姿勢について物議を醸した話でもある。及川が60話で影山に対して取った行動は、しばしば菅原と比較して批判の対象ともなった。同じチームの向上心ある後輩を敵視して遠ざける事は先輩として狭量であり、また、それを正す事もしない岩泉の両者の姿勢が、北川第一というチームや影山に悪影響を与えていたのではないかと言う人もいた。これについて、まずは及川がそのような態度を取った理由について考え、そして本当にそれが悪影響となったのかどうか、それを考えたい。
可能な限り加筆修正は行っているが、この原稿を最初に書いたのは春高開始前となるため、情報に手落ちがある可能性を先に陳謝する。

及川徹の姿勢

 及川は影山の存在に追い詰められ、自分の脅威になる存在とみなして、サーブの教授を請われても中学の間に教える事はなかった。

「…俺…サーブとブロックはあの人見て覚えました」

2巻13話 影山飛雄

 対する菅原は、ひとつでも勝ちが取れて、烏野が先に進めるのであれば、影山を起用するべきだと自ら烏養に進言した。

「―俺ら3年には"来年"が無いです ―だから ひとつでも多く勝ちたいです 次へ進む切符が欲しいです それを取ることができるのが俺より影山なら 迷わず影山を選ぶべきだと思います」

4巻26話 菅原孝支

 また、影山に対する態度も、及川は今に至るまで剣呑な態度であり、菅原は影山を認めたうえで、彼に欠けているチームへの信頼を懇切に諭すような態度である。この差について、もちろん元々の性格に因る部分も大きいとは思うが、「部活と競技」という視点、及び「アイデンティティの確立」という視点でこの2人を比較してみたいと思う。

 まずはバレーに臨む姿勢として「部活」という側面が大きいのか、「競技」という側面が大きいのかという視点である。

「スポーツに限らず、どんなことでもそうだと思いますが、「部活動」としてやってきたことを、高校限りで終える人も沢山いると思います。」

ダ・ヴィンチ2014年4月号
古舘春一1万2000字インタビュー

 作者に対するインタビューで、「高校」が特別である理由についてこのように述べられていた。また、「月刊バレーボール」2014年3月号の、直前の春高優勝校である星城高校特集において、選手たちのプロフィール項目のひとつに将来の夢が載せられていたが、全国優勝校においてもVリーガーになりたいと掲げている選手は多くはなかった。

 部活動としてやりきって終えるのか、その道を極めるために続けていくのか。『ハイキュー!!』ではおそらく、前者が圧倒的多数のように思う。クローズアップされるようなキャラクターについては後者も多いように思うが、全員が全員そうというわけでもない。
 彼らが部員としてあるのか、バレー選手としてあるのか、作中では明言されているわけではないが、その在り方の描写が各所に滲むのは『ハイキュー!!』の面白さのひとつであると思う。

「基本的には優しい主将に甘えて それまで〝それなりに楽しくやってた部活〟が途端に〝勝つ為の部活〟になって ぬるま湯に浸ってたみたいな俺達はびっくりして逃げ出した」

4巻27話 縁下力

「かつて全国レベルだったそのチームに勝てちゃったりとかして!?」
「万年一回戦負けの俺達が!!」

5巻35話 芳賀良治・玉川弘樹

「中学までは皆でわいわいやるのがたのしーって漠然と思ってました それが俺にとってのバレーでした」

8巻70話 山口忠

「おれ オリンピックで金メダル獲るまで何回も後悔すると思います!」

8巻71話 日向翔陽

 部活をしているのか、競技をしているのか。それは技術の巧拙やチームの強弱には関係ない。部活をしているキャラクターは今自分が所属しているチームで自分はどうやっていくのか、チームをどうしていくべきかという視点が強いだろう。競技をしているキャラクターは自分のバレーについて思うところ、自負するところがあるだろう。とはいえ、部活か競技かというものは切って切り離せるものではないし、高校バレーの頂点を目指すという話の流れにおいては、両者の本気にはなんら差がないように描かれていると思う。
 ただ彼らの将来を考えた時にはおそらく影響してくる事であり、細かいところで反応の差となって表れていると思う。その顕著な例が、及川と菅原との「後輩に天才セッターが表れた時の正セッターの反応」であると考える。

私は及川と菅原について、及川は競技寄りであり、菅原は部活寄りだと考えている。その根拠のひとつとして以下の発言を挙げる。

「あいつ ホント好きだよな バレー 見てるこっちがしんどいくらい」

7巻60話 北川第一部員

「―俺ら3年には"来年"が無いです ―だから ひとつでも多く勝ちたいです 次へ進む切符が欲しいです それを取ることができるのが俺より影山なら 迷わず影山を選ぶべきだと思います」

4巻26話 菅原孝支

 及川についての発言は、もちろん影山の入部で精神的に追い詰められて鬼気迫っていた頃であるという事は考慮すべきだが、おそらくこの発言をした部員は前々からそう感じるところがあったのだろう。北川第一も強豪と呼ばれる学校だ。その学校の部員をして「好きだよな」と言わしめるのだから、やはり競技としてのバレーが好きなのであり、競技としてやっている側面が強いのだと思う。
 そして菅原の発言は、『ハイキュー!!』という作品の中でも名台詞のひとつに挙げられると思う。自分を抑え、チームを思って身を引きながらも、出番を得る事は諦めない姿勢は、彼が理性的で人格者である事を伺わせた。それと同時に、私はこの影山にセッターを譲った発言の周辺で、菅原は部活寄りの人間なのではないかと感じた。バレーボールという競技をこの先も続けていく場合、いずれは、自分がチームの中で何ができるのか、何を為すのかを考える前に、そもそもチームに所属する基準に達しているのかという問題が出てくるはずだ。部活は言ってしまえば入部届を出せばチームには所属できる。自分個人よりもチームを優先する、今のこのチームを勝たせたいという思いの強さは、やはり競技よりも部活寄りの姿勢なのではないかと思う。

 競技と部活の差を考えた時に、競技寄りの思考を持った場合、特にセッターという、コートに基本的には1人という枠を争うポジションでは、そこに現れるライバルに対して過敏になる事もあるだろう。及川の影山に対する姿勢の大人気なさは、性格の他にそういう理由もあったと思われる。

 次に、「アイデンティティの確立」という視点だ。アイデンティティは日本語では自己同一性とも訳され、自分は何者であるのか、という事が自分でわかっている事と砕いて良いと思う。菅原はアイデンティティが確立されたキャラクターである。それについては、「ダ・ヴィンチ」でのインタビューで作者が菅原についてこう言及していた。

「影山という圧倒的才能が入って来た時に、「では自分にあるものは何か」を考える事ができる人物なので。」

ダ・ヴィンチ2014年4月号
古舘春一1万2000字インタビュー

 この「では自分にあるものは何か」というのがアイデンティティだ。影山と自分の違いをしっかりと把握して、自分にできる事、自分の強みを探しているのである。
 それに対して、中学3年の時の及川はアイデンティティが確立されていなかったと言って良いだろう。影山という天才が入部してきた時に、自分の長所短所、及び影山の長所短所を判断して、自分の強みを活かして正セッターの座を守るという発想には達せていなかった。その結果が、60話で描かれた、オーバーワークや連携ミスだと思う。このアイデンティティが確立されていたかいないかというところにも、影山に対する姿勢の差の、もうひとつの大きな要因があったと思う。及川は中学3年の時、その事が焦りに繋がって、ただがむしゃらになって、フラストレーションを溜めて、影山に手を上げようとしてしまったのである。しかしこのアイデンティティだが、高校3年の及川には確立できているものだと思う。

「才能では敵わなくても皆が一番打ちやすいトスを上げられる自信はあるよ」

6巻53話 及川徹

「及川はどこであろうとそのチームの最大値を引き出すセッターだ チームの最大値が低ければそれまで 高ければ高いだけ引き出す それが奴の能力だ」

9巻77話 牛島若利

「誰からもどんな奴からも"100%"を引き出すなんてたとえ時間をかけたってできるとは限らない でも及川さんは例えあの人を嫌ってる奴とか すげえクセのある選手とかでさえ きっと自在に使いこなす」

12巻106話 影山飛雄

 ここに挙げたように、自分の中で及川徹というセッターはこうであるという認識ができており、それが他者の感覚と一致しているのである。アイデンティティの確立と自己客観視ができているので、おそらく今の状況で天才セッターが後輩に入って来たとしても、中学3年の頃のようにはならないと考えられる。つまり、中学3年の時の及川は確かに未熟だったが、成長もしているのである。ただし、そこで本当に圧倒的実力差があり、チームが勝つ為にも後輩に譲った方が良い状況、つまり菅原と同じ状況になったとしたら、具体的にどのような対応になるかはもちろんわからないが、菅原と同じような対応にはならないと思う。ここに、性格や、部活としてバレーに臨むのか競技としてバレーに臨むのかという差があるのだと考える。
 以上のように、及川と菅原との姿勢の差は性格の他に、「部活か競技か」、「アイデンティティが確立されていたかどうか」という観点から説明ができると考える。

 それでは、これが悪影響を及ぼしたのかどうかを、岩泉の影山に対する態度や、発言と合わせて次に考えたい。

岩泉一の姿勢

 岩泉と影山は北川第一で先輩・後輩の関係だった。しかし、岩泉の描写量そのものが多くはないとはいえ、この2人の絡みはほとんど描かれておらず、その関係性もほとんど把握できない。

〔影山から岩泉についての言及〕

「…及川さんと岩泉さん―あの4番のレフトの人…あの二人は 小学校のクラブチームから一緒らしいです 阿吽の呼吸?ってやつです」

6巻48話 影山飛雄

「追い込まれた この場面 及川さんは 岩泉さんに上げる!!」

7巻60話 影山飛雄

「…あ~あのもし大会が近いのにえーと…あっ 岩泉さんが無茶な攻撃をやるって言い出したら―」

10巻83話 影山飛雄

〔岩泉から影山についての言及〕

「影山 なんか凄くなってたな」

2巻16話 岩泉一

「及川さん サーブトスのコツを」
「いやだね バーカバーカ!」
「及川 1年にカラむんじゃねえ!」

7巻60話 影山飛雄・及川徹・岩泉一

「お前が凹ましたい相手その2が目の前だ」

7巻60話 岩泉一

〔岩泉と影山の接触〕

「―影山 悪いけど今日は終わりだ」
「あ…はい」

7巻60話 岩泉一・影山飛雄

 ここに挙げたものが全てではないが、影山から岩泉についての言及は基本的に及川をベースにしている。逆に岩泉から影山への言及は、バレーの技術に関する客観的な話がほとんどで、あとはこちらも及川をベースにした発言ばかりである。元先輩後輩であるという認識はもちろんあるようだが、2人とも及川というフィルターを1枚挟んで互いを認識しているという非常に間接的な関係であるように見受けられるのが特徴だと思う。
 それでは、及川というフィルターを1枚挟んだ関係という事は前提として、岩泉が影山をどう認識していたかという事を考えたい。というのも、岩泉のこの発言が物議を醸したからである。

「相手が天才1年だろうが牛島だろうが "6人"で強い方が強いんだろうがボゲが!!!」

7巻60話 岩泉一

 「相手」にチームメイトであるはずの天才1年こと影山を含め、「6人」には含めていない様子に、影山の事をチームメイトとも思わず排除しようとする意図があり、後の影山の孤立に繋がったのではないかという事だ。
 私は60話を読んだ当初、この意見を見て、「天才1年と牛島というのは、どんな相手だろうと程度の意味だろうし、言葉のあやにそんなに目くじらを立てる事もないだろうに」と考えていた。しかしそれと同時に、「天才1年」という言葉を口にしたという事実は確かに引っかかっていた。
 これについて今はこう考えている。

 岩泉は確かに影山を6人に含めていなかった。しかしそれは決して影山への悪意ではないし、チームから排斥しようとするものでもない。スポーツはチームで競うものであると同時に個人でも競うものである。『ハイキュー!!』は個人間で競う事に決して否定的な物語ではない。これは及川(岩泉)と影山の個人間での競争であり、それは誰にも悪影響は及ぼさない。

 これだけではわかりづらいと思うので、小分けにしてひとつずつ考えていきたい。

 岩泉は暗に影山を「6人」から除外した。ここにはどういった意図があるのだろうか。

 まず、これにはセッターというポジションの性質と岩泉のキャラクターの性質が大きく関わっていると思われる。セッターというポジションは基本的に椅子がひとつである。つまり、及川が正セッターでいる内には影山はその椅子に座り得ないし、影山が正セッターとなれば及川は当然その椅子から落ちる事になる。及川にしても影山にしても基本的に競技としてバレーボールに臨む姿勢をもつキャラクターである。

「イヤだね!何で後々 脅威になる奴を自分の手で造えなきゃなんないのさ! イヤだね バーカバーカ」

6巻52話 及川徹

「この人を超えれば まずは県で一番のセッターだ」

6巻53話 影山飛雄

 自分を超えさせまいとする及川と、超えようとする影山。及川も言っているが、「後々脅威になる」のである。部活というスパンではなく、もっと長い、競技というスパンで見た時に脅威になる存在として見ている事が伺える。

 また、影山は菅原に対してこのような発言もしている。

「今回は俺 自動的にスタメンですけど 次はちゃんと 実力でレギュラーとります!」

2巻10話 影山飛雄

 菅原に対する堂々たる宣戦布告である。
 競技として上に昇っていく事を考えた時に、おそらく正セッターの座を勝ち得るという事は、当然の事なのだろう。それは追うものも追われるものも同じだ。及川と影山が同じ競技という姿勢を持って存在する以上、対立は避けられないものだろう。

 そして次に岩泉は及川の為に用意されたキャラクターだという事である。
 金田一などへの接し方を見ている限り、岩泉は基本的に「良い先輩」であり、特別競技寄りの姿勢が強いような描写もない。岩泉のその性質が勝てば、及川が納得するかはともかくとして、菅原のような態度を及川に説いたかもしれない。しかし彼は及川の為に用意されたというメタ的なアイデンティティを持ち、おそらくその性質は何よりも優先されるものだ。だから岩泉にとってのセッターは及川以外にはありえなく、どこまでも及川側に立つ事はほぼ必然なのである。
 また、メタ的な要素を抜きにしても、岩泉がセッターとしての及川に信を置いている様子は17巻の「ちょうスゲェセッター」など、ところどころに見受けられる。仮に及川の努力の欠如や慢心から技術的に劣るようになり、セッターの座を奪われるような事態になるならば知るところではないが、そうでもないのに及川が自滅していくのは岩泉の本意ではないのだろう。

 及川と影山の対立が避けられないもので、岩泉にとってのセッターは及川である以上、及川が張り合うべき相手の天才1年セッター候補は「6人」には入らない。これが、岩泉が影山を6人に含めなかった意図の裏側だと思う。

 それではこの意図は影山への悪意や、影山をチームから排斥するといった、そういった方向に繋がる事があっただろうか。私は、それはないと考えている。
 6人に含めないと言っても、おそらく積極的に影山を支援するような事はしない程度のものだろう。

「及川さん サーブトスのコツを」
「いやだね バーカバーカ!」
「及川 1年にカラむんじゃねえ!」

7巻60話 影山飛雄・及川徹・岩泉一

 岩泉は及川にサーブトスのコツを教えてやれとは言わない。それは及川と影山との競争において影山を支援する行為だからではないだろうか。しかし同時に、行き過ぎた絡みについては影山側に立ち、及川を窘めるのであり、影山に対して咎めるようなアクションを起こすという事もない。

「相手が天才1年だろうが牛島だろうが "6人"で強い方が強いんだろうがボゲが!!!」

7巻60話 岩泉一

「キメ台詞は鼻かんでから言えよ」
ティッシュ使いますか」
「うるさいっ」

7巻60話 岩泉一・影山飛雄・及川徹

 相手を羅列した時に、牛島は名指しである一方で、影山は天才1年と概念的であるし、その他の影山に言及する台詞や、148話で春高試合終了後に烏野の健闘を称えるように影山の肩に手を置く岩泉の様子などを見ても、影山の人格に対して岩泉が悪意を持って接している様子はない。
 またコミカルなやりとりがある事からも、及川と影山の人間関係に至っても、吹っ切れて以降は陰湿にギスギスするようなものではなかったと思う。及川と岩泉が敵視したのはあくまで影山の才能に限った話なのだろう。6人に含めないからといってイコール悪意とはならないはずだ。

 その敵視についての是非だが、『ハイキュー!!』という物語はチームとしての在り方の描写を大切にする一方で、チーム内であっても個人間での競争を肯定的に描いているように思う。

「俺 負けません!」
「! ………… …うん 俺も負けない」

2巻10話 影山飛雄・菅原孝支

「…俺と月島はさ ポジションとか役割的に日向とライバル関係に近いから ヒヨコみたいだった日向が日に日に成長するのをひと一倍感じるんだろうな …―でも俺は 負けるつもりは無いよ」

10巻87話 東峰

 切磋琢磨という言葉がある通り、競い合う事はお互いのレベルを上げていく。『ハイキュー!!』もまた、チーム内でも互いに負けないと張り合う事で、より上を目指す様子が描かれている。
 及川の態度には確かに狭量なところがあり、それに異を唱えない岩泉も岩泉かもしれないが、本質的には東峰が言うところの「ライバル関係」と同じだろう。この対立自体は否定的に捉えるべきではないと考える。

 とはいえ、6人から排除するような意図が周囲にも伝わって、後にも繋がる悪影響を及ぼしたのでは、という意見もわかるにはわかる。確かに現実世界において、そういう距離感というものは周囲に伝わるものだし、チームを率いる人物がそんな調子では、チームの間に軋轢が生まれてしまうというのはありうる話だと思う。
 ただ、これまで述べてきたように個人間の競争に対しては肯定的である事や、人間関係自体はこじれていなさそうな様子からも悪影響はなかったように思うし、そして何より、これはもう感覚的な話になってしまうが、私は『ハイキュー!!』はそれが悪影響になるような物語ではないと感じるのだ。岩泉や及川からの悪影響はなく、影山孤立の原因は専ら影山と金田一らのコミュニケーション不全に終始するものだと思う。

 以上の事から、前述したこの事が岩泉のあの発言の全容であったと考えるところである。

 岩泉は確かに影山を6人に含めていなかった。しかしそれは決して影山への悪意ではないし、チームから排斥しようとするものでもない。スポーツはチームで競うものであると同時に個人でも競うものである。『ハイキュー!!』は個人間で競う事に決して否定的な物語ではない。これは及川(岩泉)と影山の個人間での競争であり、それは誰にも悪影響は及ぼさない。

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