及川徹と岩泉一に関する一考察

漫画『ハイキュー!!』の登場人物である青葉城西高校の及川徹と岩泉一に関して考えたことや思ったことをまとめておくブログです。

ドンピシャトスが決まらなかったのは―阿吽考察再考

私は『阿吽考察』「完成したトス、決まらなかったスパイク」の中で、岩泉がスパイクを決めきれなかった理由として、展開上の都合を挙げた。
烏野がリベンジを果たす以上、あのタイミングで青城が会心の1点を挙げて、流れを青城に傾けてはいけないという理由だ。
今も理由のひとつにそれがあるのではないかとは思っているが、実を言えばこの表現はある意味展開の犠牲とも言ってしまえるような気がして抵抗があった。
私はあの場面を展開の犠牲とは思っていなかったし、思いたくもなかった。

一方でもうひとつ、この考察を書く前からぼんやりと考えていた岩泉が決められなかった理由があった。
しかしかなりの願望が入り交じっているので、表には出さなかったのだが、やはり展開の犠牲と呼ばれかねない理由のみを公開しておくことに不服を感じるようになったので、ここに残しておこうと思う。


その理由はあのトスを完璧なものとして完成させない方が、及川と岩泉とにとって良かったのではないかというものだ。

私は「岩泉一の役割」において、あのトスはセッターの領分として完成を見たと言ってきたが、連係として見れば未完成というよりほかない。トスが何故上げられるかといえば、それは点を獲るためだからだ。トスからのスパイクが決まってこそ、連係という一連の繋がりは瑕疵のない完璧なものになる。

しかし、もしあの局面でスパイクが決まり、チームメイトや監督、コーチからの賞賛、あるいは観客のどよめきや、烏野の動揺、そういったものを及川や岩泉が受け取ってしまったら、それで終わり、そこが最終回のようになってしまわないだろうか。この一戦を敗北で終えれば引退する主人公サイドでないチームのキャラクターに起こったことであるからなおさらである。

あの及川のトスは終着点のトスではない。完成ではない。及川が険しい道へ一歩踏み出した、その始まりを告げるものだ。

スパイクが決まれば、あの連係は最高のものとして称えられるはずだっただろう。あるいは他者からの評価以上に、当人たちの胸中に去来するものもあっただろう。しかしそれらは目前で霧消した。
そのことは、彼らのこれからのバレー人生に於いて燻り続けるのではないかと思う。決して絶えないそれが種火となって、いずれ険しい道を突き進む動力となるのではないかと思う。

話は変わるが、ミロのヴィーナス像の両腕について、Wikipediaにこんな記述がある。

一方、詩人・作家である清岡卓行は、第二評論集『手の変幻』に収録された『ミロのヴィーナス』の中で、ヴィーナスの両腕の不在のゆえに、そこには想像力による全体への飛翔(原文では「特殊から普遍へ」の飛翔とある)が可能なのだと述べている。

及川と岩泉の完成しなかった連係は、このミロのヴィーナスの両腕なのではないかと思うのだ。

以下は私がこの説を知った『GetBackers-奪還屋-』(青樹佑夜原作)の13巻からの引用である。上記の『手の変幻』の一節を噛み砕いたものだろう。

どんな完璧な"創造物"も一人一人が"想像"の中で作り上げる美には敵わない

ミロのビーナスは両腕を失ったことで決して超えることのできない美しさを手にした

これと同じで、完成しなかった連係は、「完成していれば」と想像した時、相当完璧なものになるのではないかと思う。
無理な態勢で、事前の決め事もない突発的な状況というハンデを背負いながらも、的確な位置に攻撃的なトスを上げ、またスパイカーもその意図を汲み取り、ジャストなタイミングで跳んだ。それを見ていた者たちほとんど全ての予想を超える賭けに勝って、目の前がほぼ完全に拓けた状態で打てたスパイクだ。
逆境も呪縛もすべて乗り越え、万全の態勢で打てたスパイクだ。
だからこそ決まらなかった不満足度は高い。岩泉が番外編で余計悔しいと振り返り、及川がごもっともと返したことからもそれは読み取れるように思う。

そのフラストレーションと、それが完成させられたかもしれないという可能性は、彼らのひとつの原点になりうると思っている。完璧な連携が完成してはそこで一区切りついてしまう。完璧を見られなかったからこそ、彼らはきっと幻となった最高の連係を追い求め続けていく。

それは、及川にとって、彼に向けられた「満足なんてできずに一生バレーを追っかけて生きていく」という岩泉の予言の始まりとしてもなんだかしっくりくるように思う。
また岩泉にとっても、「チームが変わっても」「戦う時は倒す」と言ったことから推察される彼のその後を考えれば、やはりあの時決めきれなかった後悔が原動力のひとつとなることは自然であると思う。

そんな風に彼らは決められなかったからこそより強くこの先に進んでいくのかもしれない。あの局面で、あのトスを決めさせなかったことで、その原動力を彼らに与えたのかもしれない。

GetBackers-奪還屋-』ではミロのヴィーナスの両腕の欠如をもって「決して超えられない美」としていたが、もちろんこのトスについて考えた場合、超えられないということはないはずだ。
高校卒業後、ふたりは進路を別つと考えているが、やはりいずれは同じチームになって、そしてあの日の幻を超える現実を見せてほしいと強く思うのである。