及川徹と岩泉一に関する一考察

漫画『ハイキュー!!』の登場人物である青葉城西高校の及川徹と岩泉一に関して考えたことや思ったことをまとめておくブログです。

チームと個―60話再考

60話の岩泉の台詞「天才一年」が本誌掲載、単行本収録及びアニメ放映時に物議を醸した話については、「北川第一時代の及川・岩泉・影山について―60話考」でも触れて、及川が競技をする人間である以上、相手に影山が含まれるのは当然の事であり、岩泉には影山を排除する意図はなかったと述べてきた。
しかしこれを書いたのもアニメで60話にあたる話が放映された頃であり、今ならもっと私が感じたことを直截に言えるのではないかと最近になって思い立ち、再考することにした次第である。

以前は競技か部活かという視点を主軸に語ってきた。
その上で今回付け足したいのはチームと個という視点である。


チームと個は基本的には対義語であると言ってしまっていいだろう。

「個人技で勝負挑んで負ける自己中な奴が司令塔じゃチームが勝てないからな」

1巻3話 澤村大地

このようにしばしば『ハイキュー!!』に限らずとも個とチームとは対比され、個人主義はチームスポーツにおいて肯定されない。そして一般的には自分で好き勝手に振る舞うよりも、チームワークを発揮することの方がずっと難しいだけに、チームの意識は口を酸っぱくして言われる傾向もあるだろう。
しかし、こうしたことからひとつの履き違えが生じやすくなるのではないかと思う。
それは、チームワークのためであれば個を抑えることもやむを得ないということだ。
私自身も漠然とそう思って『ハイキュー!!』を読んでいたし、作中の登場人物たちもそんな履き違えをしているように思う。

たとえば影山は、「個」であるがゆえに孤立した過去から、彼なりに「個」を抑えて「チーム」に尽くそうとしていたという経緯が25巻224話で語られる。
しかしそれは否定され、影山は「個」の性質である「王様」を返還された。

あるいは京谷について考えてみると、彼は自分の思うように、つまり「個」として振る舞えないことに嫌気が差して「チーム」から離れていた。しかし16巻141話で言われたように、「自分がチームを向きチームも自分を向く」ような、両者が相乗効果をもたらす、そんな在り方もできることに気付いた彼は「個」を持ったまま「チーム」に戻るのだろう。

つまり、チームを重視するために個を軽視する必要はないのである。チームも個も、両方を同時に重視することには何も矛盾がないのだ。
そうは言っても、私自身も含め上記の影山や京谷のように、チームの重視と個の重視とは両立しない相反するものと捉えられがちで、そしてここで主題としたい及川もまたその一人だったのだと思われる。

IH予選が終わった頃、私は不思議に思っていたことがあった。

「…オイゴラ また〝トスは敵わない〟なんて言うんじゃねーだろな」
「飛雄に? 敵わないよ あんなピンポイント上げられないし! ギャッ怒んないで! 才能では敵わなくても皆が一番打ちやすいトスを上げられる自信はあるよ セッターとしては負けない」
「……」

6巻53話 岩泉一・及川徹

この流れにおいて、岩泉は及川の言い分を聞いてもなお不服そうな表情を浮かべていた。私にはそれがわからなかった。

話の掲載順としては後になるが、話の時系列としては前にあたる60話で、岩泉はこのような事を言う。

「てめえ一人で戦ってるつもりか 冗談じゃねーぞボゲェッ」
「1対1で牛島に勝てる奴なんか北一には居ねえよ!! けどバレーはコートに6人だべや!!」

7巻60話 岩泉一

この岩泉の「個」を否定して「チーム」を説いた言い分に照らし合わせれば、及川の「自分はチームメイトの力を引き出せるから、影山に個人技で負けたとしても、チームの中のセッターとしては負けない」という答えに岩泉は満足しても良いのではないかと思ったのだ。

しかし岩泉は口を固く引き結んだまま押し黙るだけでひとつも満足した様子はなかった。

この岩泉の不服の理由はその場で語られなかったために、どこで回収されるのだろうかと気にしながらIH予選を追っていたのだが、IH予選が終わっても理由らしい理由は見当たらなかった。
回収されるべきとは考えすぎだったのだろうかと長らく思っていたのだが、迎えた春高予選で、及川が岩泉にドンピシャのトスを上げた時、岩泉の不服の答えはこれだったのだと思った。
岩泉は及川がそんなトスを最初から無理と決めつけ、挑むことすらしないと決め込んでいたのが不服だったのだ。彼の登場当初に言った事をずっと及川に求めていたのである。

「『トスも負けてない』って言えよ クソ及川!」

2巻16話 岩泉一

私が60話と53話の岩泉の言い分との間に齟齬を感じていたのは、最初に言ったように「チームワークのためであれば個を抑えることもやむを得ない」と考えていたからだ。岩泉もまたそれを説いたのだと思い、それを受けての及川の判断は、チームのためとして正しいのだと思っていたからだ。
しかし実際は個を抑えることとチームワークをよくすることの間には因果関係がない。両者は両立する。よく読めば、岩泉は「個」にこだわる余りに「チーム」の意識が疎かになっていることに怒りを覚えているだけであって、「個」として競い合うこと自体は否定していない。
及川はおそらく自分も気がつかないままに、「チームのため」をもっともらしい理由にして、影山個人と競うことから目を背けていた。
岩泉はそのチームのためと言いながら個を軽視する及川の欺瞞に不服を覚えていたのだ。

以上を踏まえた上で60話を読んでみたい。

60話もまた、個とチームが主軸になった話とも言えると思う。
ただしこの時に起こっていたのは、個を重視しすぎるが故のチームの軽視だ。

天才一年と交代させられたことで頭に血が上っていたこと、牛島というどうしても勝てない壁が立ちはだかっていたことから、及川はおそらく「天才一年と交代させられてしまうような弱い自分では、牛島という怪物を擁する白鳥沢に勝てない」と考えていたのだろう。
これは、「個vs個」の結果がそのまま「チームvsチーム」の勝敗に直結する、言ってしまえば「個vsチーム」の意識に、及川はなってしまっていた。
チームにおいても「てめえ一人で戦ってるつもり」になっていたのである。

これはそもそもバレーボールがチームスポーツであることを失念しているということで、到底肯定されるべきではない。

そこで岩泉が60話でしたこととは、バレーボールとは「個vs個」の結果が勝敗を分けるものではないし、ましてや「個vsチーム」で戦うものでもない、あくまで「チームvsチーム」の結果が勝敗に繋がるスポーツなのだと及川に突き付けたことなのである。

そんな文脈で相手として挙げられた「天才一年」と「牛島」がなんなのかといえば、及川が「個vsチーム」の錯覚に陥るに至った原因となっている相手なのだと思う。
「天才一年と交代させられてしまうような弱い自分では、牛島という怪物を擁する白鳥沢に勝てない」と先ほど解釈したところだが、このとおりである。
天才一年が及川の代わりにセッターを務めようとも、牛島が対戦相手にいようとも、そのことだけでチームの勝敗が確定してしまうわけではないだろうと、そう言うために相手として彼らを列挙したに過ぎないのだ。
及川と岩泉の共通の敵を挙げて、「そんなやつらが相手であろうと俺たち6人でチームワークを発揮できれば負けない」などという、そんな文脈では全くないと私は思う。

及川はこの岩泉の言葉を受けて、バレーボールはチームスポーツであることを思い出す。
しかしその一方で、彼は背後から迫り来る同じポジションの天才の存在を、チームを盾に棚上げしてしまう。及川は「俺が俺が」となっていたことからも、あるいは影山に向けられた言葉の端々からも、影山の個人としての技術に及ばないことに本心から納得はしていなかっただろう。
しかし本心を覆い隠して、個としての戦いから目を背けてしまったのだ。
そして「いつか負けるのかもしれない」と己の未来を悲観した状態に陥ったが、17巻146話で登場した影の人物の言葉を受け、「天才には敵わない」と言うことを止め、それが及川にとって影山との「個vs個」の戦いであるドンピシャのトスに繋がったのである。

60話はひとつの答えであると同時に、別の問題の始まりでもあった。
及川にとって大きな転換点となったこの話は、「チーム」と「個」という視点を持って見ればこのような流れが読み取れるものであり、影山を排除したいというその後の北川第一に悪影響をもたらしてしまうような、そんな意識をもって発された言葉ではまったくなかったとやはり私は思うのである。