及川徹と岩泉一に関する一考察

漫画『ハイキュー!!』の登場人物である青葉城西高校の及川徹と岩泉一に関して考えたことや思ったことをまとめておくブログです。

阿吽考察 及川徹の物語

 春高青城戦の最終局面で上げられた「ドンピシャ」のトス。「ドンピシャ」といえば、17巻の段階で日向と影山の変人速攻に対して使われている外は、この及川と岩泉のセカンド・テンポの攻撃にのみ現れている形容である。
 寸分の狂いなくピッタリであることの形容だろうが、もう少し作中での使われ方に踏み込むならば、影山がこのトスを上げる際には「今」「この位置」「このタイミング」「この角度で」という4つのポイントが主要なシーンでは用いられている。そのくらい細かい調整ができてこその「ドンピシャ」という事だろう。まさに機械じみた正確さが必要であり、そしてそれは及川にとって天才にのみ許された領域であったのだろうと思われる。

「出たよ 〝バケモノ速攻〟」
「ホント天才ムカつくわ~」

5巻43話 岩泉一・及川徹

「飛雄に? 敵わないよ あんなピンポイント上げられないし!」
「才能では敵わなくても皆が一番打ちやすいトスを上げられる自信はあるよ セッターとしては負けない」

6巻53話 及川徹

 及川は、殊IHの最中には、影山の天才性について変人速攻を実現させてしまう技術力として捉えていた側面がある。おそらくいくら練習しても影山の境地には至れないが故のこびりついた苦悩があったのだと思う。
 しかしそのこびりついた苦悩は「天才には敵わない」という固定観念となって、却って及川を縛り続けていたのではないだろうか。

「飛雄…急速に進化するお前に俺は負けるのかもしれないね」

8巻68話 及川徹

 及川は、影山の技術的な境地に自分が至る事はないと思い込んでいたからこそ、その天才的技術に加えて及川が武器とする「信頼」をも得ようとする影山に敗北を見たのだろう。
 しかし感情を排斥して単純な事実だけを見れば、及川が影山の境地に至れなかった事は、あくまでもその時点までの話であり、それから先の未来においても至れないままなのかどうかはわからない話であるはずだ。負け続けても打ちのめされても、常に希望を抱き続けろと言う事はもちろん酷な話ではあるが、IHまでの及川は諦めが早すぎたのだろうと思う。そしてこの諦めという固定観念は、成長を阻害するように及川の才能に蓋をしてしまっていたと考える。

「自分の力の上限をもう悟ったって言うのか?? 技も身体も精神も何ひとつ出来上がっていないのに? 自分より優れた何かを持っている人間は生まれた時点で自分とは違い それを覆す事などどんな努力・工夫・仲間を持ってしても不可能だと嘆くのは全ての正しい努力を尽くしてからで遅くない ただ〝自分の力はこんなものではない〟と信じて只管まっすぐに道を進んで行く事は〝自分は天才ではないから〟と嘆き諦める事より辛く苦しい道であるかもしれないけれど」

17巻146話 影の人物

 その根拠として、要約すれば「諦めが早すぎる」という意図になると思われるこの影の人物の言葉を受けて以降の春高では、及川の意識に変化が見られる。

「飛雄の天才っぽいところは技術とかより多分バカなところだよね 普通なら躊躇うところを迷わず突き進む」

17巻146話 及川徹

 天才である事を理由に、天才と自分とは違うと突き放すのではなく、彼なりに天才を構成しているものを噛み砕いて、自らに引き寄せようとしている様子がある。
 事実、変人速攻は言うまでもなく技術的な凄さもあるが、相手のスパイクする位置に寸分の狂いなくトスを上げてみようと思える、躊躇いのない発想力もまた欠かせないもののはずである。
 及川の場合、「天才には敵わない」という固定観念は、特にこの発想力、踏み切る力に蓋をしてしまっていたのではないかと思う。自分は天才ではない、そんな精密なトスは上げられないと思っている内は、躊躇いが残ってしまい、上げられるものも上げられなかったのではないだろうか。

 しかし、146話に至って及川は天才を自分なりに解釈して、その本質が躊躇いのなさにある事を理解する。理解すると言う事は、できるかできないかはさておき、実践してみる事ができるという事である。

「…才能開花のチャンスを掴むのは今日かもしれない 若しくは明日か明後日か来年か 30歳になってからかも? 体格ばかりはなんとも言えないけど 無いと思ってたら多分一生無いんだ」

17巻146話 及川徹

 そして及川は自分の未来を諦めてしまう事を止めた。
 自分の技術的不足であると思い込んでいた「天才っぽさ」を躊躇いのなさと理解し、また精神的にも「天才には敵わない」という固定観念を払拭し、未来の自分を信じると決めた。
 準備は整った。

 「ドンピシャ」のトスとなったボールは、誰もが緩い二段トスを予測しただろう。「頼む」と託した花巻も、「チャンスボール」と叫んだ日向や田中も、コート外にいた監督やコーチも、おそらく多くの観客も、上げるのが精一杯になると考えていた。それを及川は、普段に勝るとも劣らない、攻撃的なトスに繋いだのである。
 普通ならばなんとか拾って上げる程度のボールを、躊躇いなく、自分ならばできると信じて、鋭いオーバーハンドトスで繋いだ。
 それは、及川が才能に被せていた固定観念の蓋をこじ開け、才能を開花させた瞬間であった。

 それに最初に気付いたのは岩泉だった。
 次に気付いたのは影山だ。
 その他の登場人物たちは一瞬何が起こったのかわからない様子で、ほとんど対応らしい対応を取れてはいなかった。

 おそらく影山が逸早く気付く事ができたのは、影山は自分ならばあのボールをオーバーハンドトスで攻撃に繋ごうとしたからだと思う。それはとりもなおさず、影山と同等の躊躇いのなさ、及川自身が天才っぽいと評した領域に及川も足を踏み入れた事を示している。
 それでは、もう1人、岩泉が及川のトスに気付けた理由はなんだっただろうか。
 別章にて詳しく取り上げたいが、もちろん阿吽の呼吸というのはひとつの理由に違いない。及川も今までの息の合った連携の経験から、岩泉ならば指先の意図を汲み取ってこの大博打に応えてくれるはずと信じ、トスを上げる判断をしたはずだ。
 しかしこんなトスは今までの及川ではありえない、イレギュラーなトスでもあった。あれだけ影山のトス回しへのコンプレックスを漏らしていた及川が、ここに来て、突然今までできないと言っていたようなトスに踏み切ったのである。
 そんなイレギュラーなトスに岩泉がドンピシャのタイミングで応えられたのは、岩泉が、及川の努力の過程も敗北も、一番間近で見、共に経験し、その悔しさやしんどさを充分に理解しながらも、及川の限界を見限ってはいなかったからだと思う。

「―及川はセンスもある 努力も惜しまない ただ2つ年下の影山という〝才能の塊〟と比べたとき 及川は優等ではあるが天才ではない」

6巻53話 入畑伸照

「へえお前でも敵わないのかよ」
「『トスも負けてない』って言えよ」

2巻16話 岩泉一

「あんな神業トス反則だよ 全く!」
「………」

6巻50話 及川徹・岩泉一

「…オイゴラ また〝トスは敵わない〟なんて言うんじゃねーだろな」
「飛雄に? 敵わないよ」
(中略)
「……」

6巻53話 岩泉一・及川徹

 入畑も見くびり、自身も固定観念で蓋をして諦めていた及川の力の限界を、岩泉はいつも見限らなかった。むしろ限界を口にする及川に苛立ちを感じている風すらあった。岩泉は、及川が自分に蓋をしている事を直感していたのだと思う。それは影の人物のように明確に言葉にできるものではなかったのだろうが、及川の意識ひとつで変革が起こりうる事を直感的にわかっていたのだと思う。

 だからこそ、イレギュラーな領域に踏み込まんとした及川を一瞬でも疑いはしなかった。岩泉はその場にいる全員の反応が遅れたあのトスの先に、跳んでいる事ができた。

 こうして及川・岩泉版「ドンピシャ」のトスは実現した。

 影山は速攻が打てない日向に対して、スパイカーのスイングコースにトスを持っていくという奇策を思いつき、機械じみた正確さで、出会って間もない日向の動きのMAX値を予測し、そのコースに寸分違わずボールを沿わせた。日向は無心に影山を信じ、目を瞑ってMAXに跳んだ。これはおそらく、及川にも岩泉にもできる事ではなかっただろう。

 しかし、躊躇いという壁を取り除き、及川が培った空間認識力と、2人で連携してきたその経験と、そして互いへの信頼とで、それに相当する事を実現したのだ。
 影山の才能の蓋が知らず開いていたとするならば、及川と岩泉は2人して及川の才能の蓋をこじ開けたのである。

 そうして及川の才能との葛藤の物語は幕を見た。


次の記事

前の記事