選ばれる者というフレーム
「及川さんのあの話」、すなわち及川がアルゼンチンでバレーボールをやっているとわかった時、私は大きなショックを受けた。
そしてショックを受けたことに自分でも驚いた。
私は無意識に及川は「選ばれる側」だと思い込んでいたのだ。
及川の進路については岩泉と合わせて色々と考えてきた。
もちろん及川がバレーボールから離れることはありえないと言いきってしまっていいだろう。だからたとえば大学の強豪チームに属していたり、実業団に入っていたりとそのようなことを考えていた。そしてその経緯として、春高予選前に及川の背を押した影の人物が大学推薦などのオファーを持ってきたと思っていたのだ。
及川は選ばれてバレーボールを続けていくのだと、彼にはそれだけの力がやはりあったのだとそう思っていた。
ところがどっこいだ。
影の人物、ホセ・ブランコは及川にオファーを持ってきたわけではなかった。それどころかおそらく彼は及川のことを知りもしなかった。
及川はつてを頼って自分から相談に行き、そして彼に学ぶためアルゼンチン行きを決めた。
及川は選ばれたのではなくバレーボールをすることを選んだのだ。
及川にはよくよく驚かされる。
IH予選の時に感じた危うさは春高予選ですっかり払拭され、彼は図太く前に進んでいけるのだなと思ったはずなのだが、それでもまだ私は彼を見くびっていたようだった。
及川は選ばれるのを待ってなどいなかった。自分がやりたいバレーボールを明確に持っていて、それに向かって無茶ができる胆力の持ち主だった。
まずバレーの道を歩むかどうかです。 私は歩まないと思っています。歩めないというよりは歩まないです。諦めではなく選択です。
岩泉一の今後
以前、岩泉の今後について考えた時、どんな道を歩むにせよ彼は選択するのだろうと思った。仮にバレーボールをやめるとしても、それは諦めではなく選択なのだろうと思った。
また、青葉城西は及川以外弱いのかについて考えた時にも、及川にあって岩泉にないものについて列挙していた。
及川は選ばれる者(選ばなくてもよい者)であり、岩泉は選ばれない者(選ぶしかない者)であるということが意識の根底にこびりついていたのだろう。
それは前述のask.fmの記事や他の記事でも散々述べてきたところだが、作中でたびたび示される及川と岩泉の実力差によって植え付けられてきたと思う。
実力のある者が推薦やオファーなどで選ばれて、その道を進んでいくという固定観念に、そんなフレームに囚われていたのだ。
そんなフレームを及川は鮮やかにぶち壊していった。
選ばれる・選ばれない、選ばなくてもよい・選ぶしかない、そんな窮屈な枠ではなく、自分で選んで進んでいくのだと私に見せつけていった。
ああもう、及川徹はすごいやつだ。
悔しいけれどまた完敗だ。