及川徹と岩泉一に関する一考察

漫画『ハイキュー!!』の登場人物である青葉城西高校の及川徹と岩泉一に関して考えたことや思ったことをまとめておくブログです。

終章に寄せて① 及川のこと

ハイキュー!!』の連載が終わった。

ブラジル修行編、ほぼ全員集合日常パートお祭編、バレーボールと漫画の面白さカッコよさにぶん殴られ続ける試合編、そして最後はまた祭のように賑やかに華やかに締め括られた。

そういえば『ハイキュー!!』はこの構成を繰り返しながら話が進んでいったなあと思う。

不思議と寂しさだとか、喪失感だとか、悲しみだとか、そういうものをほとんど感じなかった。
いや、401話を読むまでは正直そんな気持ちがなかったとは言えない。
しかし最終話直前の401話を読み終わった途端ひたすら最終回が楽しみになった。ふわふわとした暖かい満足感に包まれていた。
そしてその期待は裏切られず、長引いていた梅雨空とは裏腹に晴れやかな気持ちのまま最終回を読み終えることができた。

とりあえずこの文章のタイトルを終章に寄せてとしたところなのだが、言いたいことが色々ある。色々あるけれど特に繋がりはない。
終章で出てきた新しい展開について思うこと、終章を読んでこれまで解釈に悩んでいた部分が解決したこと、最終回を迎えたら言いたかったこと、色々だ。
だからいつもの感想どおりぶつ切りでいこうと思う。



及川の帰化

及川が帰化してアルゼンチン代表としてオリンピックに出場するというのは物語の落としどころとしてはベストだなあと思う一方、帰化して国家代表になるというのはややセンシティブな話であるようにも思えて、どのように描かれるのだろうかと少し緊張していた。

その緊張がふっと解けたのは、漢字で「及川」と書かれたハチマキを頭につけたアルゼンチン人とおぼしき男性が出てきた時だった。

彼ともう1人の女性がいるのはおそらく有明アリーナの会場だろう。つまり彼らは地球の裏側から東京まで、男子バレーボールアルゼンチン代表を応援するためにやってきている結構なバレーボールファンであると思われる。そして漢字で書かれた及川の名前入りグッズ(あるいは手作りかもしれない)を身に付けているということはかなりの及川ファンと見て良いだろう。
この及川ファンについて敢えて記号的に性別を捉えてしまうが、もしこのハチマキなり及川の名前入りグッズなりを女性が身につけていたとすると、及川のルックスがなまじ良いだけに、そのルックスから及川を応援している可能性を生んでしまいかねないように思う。
ここで明確に男性の及川ファンが描かれたのは、ルックスに依らずバレーボールの実力やプレースタイルで及川に魅了された人がアルゼンチンにいるということを示しているのだと思う。
(念のため繰り返しておくと及川はおそらくルックスメインの女性ファンがたくさんいたという経緯があるだけに敢えて記号的にとらえているだけであって女性はルックスしか見ないという話ではない)
及川はアルゼンチンの代表として現地に受け入れられているのだ。

そしてそれは及川がそれだけのふるまいをしてきたという示唆でもあると思う。

たとえばスポーツの世界では利害関係の一致による帰化がある。

オリンピックや他の国際大会の出場に関して、国籍を変えるケースが見られる。背景には競技力の強化を図りたい国側と、母国の激しい代表争いに敗れたり競技環境を重視して新天地を求める選手側の利害関係一致がある。

Wikipedia - 帰化選手

私はスポーツに明るくないのでその戦略を肯定したり否定したりすることはできない。できないが、たとえば外国人の選手が日本に帰化した時に、単純に利害関係の一致のみで帰化を選択したと言われると私はモヤモヤとしてしまうと思う。
やはり自分の国が好きだという前提の上で国籍を選んでほしいと思ってしまうと思う。

国、というと色々な定義があると思うが、私がここで思い浮かべているのはその土地の風土が育んだものだ。なんだっていい。人でも、食べ物でも、文化でも、気候でも、景色でも。
競技人としての必要に迫られて、だけだとちょっと寂しいのだ。条件が一致していればどこの国でもよかったと言われているようで、心から自国の代表として応援できるかわからないのだ。

そんな風に思うから、最終回を読む前に及川がどのようにして現れるのかちょっと緊張していたのだが、ハチマキの男性ファンの登場で、ああ大丈夫だった、と思えた。

よくよく考えれば及川はホセ・ブランコの、アルゼンチンで育まれたバレーボールに感銘を受けた。その風土の元にあるバレーボールに惹かれて海を渡ったのだ。
そこにそれ以上の理由はなかったように思う。
日本にいたとしてもいくらでも牛島や影山、日向らと対峙して倒すことはできるし、代表を目指すこともできる。及川は日本の環境が自分の要求を満たさないから外国を選んだのではないだろう。

ホセ・ブランコにに魅了され、彼を追ってアルゼンチンに渡って、そこで自分の好きなバレーを続けるうちに帰化の選択肢が出てきたのだと思う。単なる条件の一致ではなく、アルゼンチンという国だからこそその選択をしたのだと思う。そうだといいなと思う。

あのハチマキの男性からそこまで考えるのは過剰な解釈なのかもしれない。
でも私は及川を自国の代表として熱烈に応援している彼が出てきたことで、及川は間違いなくアルゼンチンという国を好きになってそこにいるし、そんな彼をアルゼンチンの人も受け入れてくれたのだと感じた。

そんなこんなで身構えていた及川の帰化という選択を思ったよりすんなり飲み込むことができた。

東京2020大会

この大会で及川が「倒す」宣言をした全員が揃い踏みするのはとても運命的だと思う。
運命的だが、ゼイタクな内輪揉めにフォーカスしていたかというとそんなことはないだろうとも思う。
オリンピックは間違いなくひとつの目標だ。
日向はオリンピックで何回も金メダルを獲らないと後悔するかもと言った。
そんなオリンピック、しかも年齢的にもちょうど脂の乗ったタイミングで舞台は日本。
目指すのは当然と言ってもいいだろうが、それはゼイタクな内輪揉めをやるためではないだろうと思う。
東京2020大会は最高の舞台だ。
しかし、仮にそこに誰かがいなかったとしてもその後も「全員倒す」は有効だと思う。
だからきっと「全員倒す」ことのできる絶好の機会ではあるけれども、まとめて「全員倒す」ために色々なことを間に合わせて掴みとった大会ではないんじゃないかと思うのだ。

ホセ・ブランコの言葉

これは直接終章には関係ない話なのだが、最終回を迎えるにあたって最初から読み返したり、また色々考えたりしている内に、すっきりしなかった言葉の解釈が変わってすっきりしたのでここに残しておこうと思う。

私が引っ掛かっていたのは146話で出てきたホセ・ブランコの言葉の一部だ。

自分より優れた何かを持っている人間は生まれた時点で自分とは違いそれを覆す事などどんな努力・工夫・仲間を持ってしても不可能だと嘆くのは全ての正しい努力を尽くしてからで遅くない

この「全ての正しい努力」の中に「仲間」が入っていることが、ずっしりきていた。
どんな仲間を持ってしても、ということは、ある意味仲間をも選ばなければならないことがあると言っているのだろうかと解釈してしまったのだ。

直近の141話で京谷のチームの話があった。京谷は中学時代も高校1年生の頃も自分というピースを嵌めることができるチームを得られなかった。
それは勿論京谷自身の問題でもあるが、チームもまた京谷に向き合ってはいなかった。
自分が力を発揮できるチームに所属できることはラッキーなのだと言われた。
この話から私の意識はひとつ、仲間によっては上手くいかないこともあるということに向いていた。

そしてもうひとつ、牛島の「青城は及川以外弱い」という言葉に象徴される、外野からの及川とそれ以外のメンバーとの実力差への言及に私はずっと呪われていた。

極めつけにもうひとつ、私はホセ・ブランコのことを及川を勧誘に来た大学か何かの監督と漠然と思いながら読んでいた。
及川は春高を最後に青葉城西というチームから引退するのだから当然なのだが、勧誘ということはある意味及川に青葉城西以外の仲間を勧めにきているということだ。

そんな積み重なりがあって、私は差を覆すためによい仲間、よい環境を選ぶことも必要だと言っているのではないかと思ってしまったのだ。

なぜこんなに煮え切らない言い方かというと『ハイキュー!!』という作品において青葉城西という環境がダメだったという描き方は絶対にしないという確信があったために、うちひしがれはしないがどう解釈したら良いんだと戸惑っていたからである。

しかし今回改めて考えてみると、想起すべきは「及川以外弱い」ではなく「独りではないのなら、見えるかもしれない景色」だったのではないかと思えた。
独りでは覆せなくても、仲間という要素を入れることで、その優れた何かを持っている人間との差を覆せることもあるという話なのではないかと思ったのだ。
それは「6人で強い方が強い」にも繋がるように思うし、何よりあの及川の超ロングセットアップこそがホセ・ブランコ語った「全ての正しい努力」のひとつの結果だったのではないだろうか。

だからあのトスは、天才たちにとって知らず開花していた才能を、天才でないものにとって独りで立ち向かうには強大な壁であった才能を、岩泉も手を貸して、2人がかりで開花させたものなのだと思う。

阿吽考察 阿吽の集大成

岩泉だけではない。きっとあの試合を繋いできた仲間がいたからこそ、及川が覆せないと思い込んでいたものを覆すことができたのだ。

青葉城西は及川以外弱いだけで片付けられるチームではないし、ホセ・ブランコは勧誘でもなんでもなくただ相談に来た及川のポーズを見抜いて挑戦的に笑っていただけだったし、及川は青葉城西というお互いが向き合えるチームをきちんと得ていた。

なぜ最初からそういう風に思えなかったんだろうと自分に失望する限りだが、ホセ・ブランコの正体がはっきりしたからこそそう解釈できたのかもしれない。
これは終章を読むことができて本当によかったと思ったことのひとつだった。


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