及川徹と岩泉一に関する一考察

漫画『ハイキュー!!』の登場人物である青葉城西高校の及川徹と岩泉一に関して考えたことや思ったことをまとめておくブログです。

395話 幸運な我ら・2

395話の感想だけど、岩ちゃんが出てきた6ページ分の感想。



岩泉一の物語

終章が始まってから、私はもしかしたらこの言葉を使える日がくるのかもしれないとそわそわしていた。
そして今週、誌面で描かれることはないのだろうと思っていた未来が現実のものになった。

それもいつもの古舘先生どおり、意外性はないのに想像を飛び超える形で。

胸がいっぱいだ。もろ手をあげて紙吹雪撒いて彼のその道を祝福したい。

でも岩ちゃんの出番はまだあるような気がしている。だからこのタイトルを使って何かを書くのはそれからにしようと思う。
今回はあくまで395話の時点で感じたこと。

プレイヤー

いくつかの大学のスポーツ科学科のカリキュラムを眺めてたら、トップアスリートの養成をひとつの目的としているところがあった。
でも岩ちゃんが終章でプレイヤーとして出てくるかというと、たぶん出てこないんだろうなあと思う。
社会人バレー的なことはしてるかもしれないけどそれは本筋ではないことで、本格的な選手としてのプレイシーンというのはもう見られないのかなと感じた。
あの決まらなかったドンピシャのリベンジを実際のプレイでしてほしい気持ちもあったけども。

なんでそう感じたかというと牛島に語った「180cmもなかったからな」も「試行錯誤してた」もプレイヤーとしての話だけれど過去形だからだ。高校時代を思い返して話してるような口ぶりだ。
そして現職のトレーナーである空井さんに弟子入りすることを目指して渡米した彼の姿勢は、すでに2年次の時点でトレーニング方法を学んだトップアスリートでなくトレーナー業を目指すものだと思うし、トレーナー一本に集中する気概が見えた。

岩ちゃんは直感か理論かでいえば圧倒的に直感の人だと思うし、理論は苦手な方だと思う。
「足りない頭使うと頭痛くなるよ」なんて及川さんに言われてたけれど、からかいだからある程度オーバーな表現になっていたとしても、考えることが苦でない人に対しては向けられない言葉だろう。
今週の「ドガァン!」が「ドバギャアン!!!」になれるなどもお世辞にも理論的とは言えない。頭を使うのが苦手なのは実際のところだと思う。
あくまでバレー脳の話とはいえ高校時点のパラメータでも頭脳3だし。
そんな岩ちゃんがスポーツ理論を学ぶために進学したこととか、空井さんの本を付箋まみれにして読み込んでたこととか、たぶんちょっと苦手なことに向き合ってでもそれを学びたいと思って進んでるのがたまらない。

そういう姿勢が見えるから、きっと岩ちゃんは生半可なことしないから、本格的なプレイってのはきっと見られないんだろうなあと思った。
あのスパイクが見られないのは寂しいけどカッコよくて嬉しい。
及川さんと岩ちゃんのバレーボールにかける想いは今も同じ熱量なんだと思えた。
岩泉一の今後」でも言ってたことへの答えをもらえた気持ちなんだけど、これを対等と言わずなんと言おうか。

トレーナー

プレイヤーではなくてトレーナーという道が示されたけど、私の胸にはすとんと落ちた。
もちろん岩ちゃんの進路を色々考えてる中で、そういう道を考えたこともあったからというのもあったんだけど、別のところですとんと落ちた。

岩ちゃんの進路を考えてたといっても、私の場合どうしても「及川さんのための」という前提から離れられなくて、及川さんとの関係性において進路を考えてた。
同じ競技者の世界に居続ける、あるいはまったく無関係の世界に身をおいてモブに戻る、競技者の道を突き進む及川さんのサポート役になる…みたいな流れの中で、トレーナー業のような道を可能性のひとつに入れたことはあった。
たとえば今の本誌展開に合わせていうならば、及川さんが岩ちゃんのメニューでトレーニングしているとか、試合に出てくる及川さんのチームスタッフに岩ちゃんがいるとか、そういう話だ。
しかし今週の及川さんはといえば、まあなんかがんばってるところに牛島とのツーショットを送りつけられただけで、岩ちゃんがトレーナーとしての道を歩んでいるところに対してはひとつも絡んでこなかった。
だから考えていたとは言ってもまったく別物と言ってもいいぐらいだ。

では何故すとんと納得できたのかというと、誌面でその未来が提示された時に、これまでの岩ちゃんが、今まで彼自身の物語を持っていなかったと思っていた岩ちゃんが、突然ずっとこの未来に向けて生きてきたように思えたからだ。

たとえば扱いは大きくないけど岩ちゃんは及川さんの体調管理に対してしばしば苦言を呈していた。
中学時代の60話で監督にも言われただろうとオーバーワークを嗜め、IH予選では夜更かしするなと釘を刺し、春高予選前には風邪引いたらブットバス(これは少し意味合いが違うかもしれないけど)なんて言っていた。
これがトレーナーを志していたから出た言葉かというと直接的にそんなことはないと思うけど、体調を管理することについては意識的だったんだろう。
私は岩ちゃん自身は健康優良児であって、対して及川さんはバレーに夢中になるあまりに体調管理を疎かにしがちな傾向があるからこういう台詞が何度か出てくるんだろうと思っていた。
しかし今週を読んでから見返してみれば高校編の岩ちゃんの手元には空井さんの著作があるのであって、天然の健康優良児というのもあるかもしれないがもっと意識的に体調管理をしていたのかもしれないと思える。

そして何より高校編の岩ちゃんはIH予選までの及川さんが自分の限界を悟ったような顔をしていたことに大きな不満を抱えていたと思う。

入畑も見くびり、自身も固定観念で蓋をして諦めていた及川の力の限界を、岩泉はいつも見限らなかった。むしろ限界を口にする及川に苛立ちを感じている風すらあった。岩泉は、及川が自分に蓋をしている事を直感していたのだと思う。それは影の人物のように明確に言葉にできるものではなかったのだろうが、及川の意識ひとつで変革が起こりうる事を直感的にわかっていたのだと思う。

阿吽考察 及川徹の物語


もしかしたら岩ちゃんはそれをどうにかしたかったのかなあと思った。
もっとやりようによってはできるはずなのにと直感した人がそこで終わってしまうかもしれないのが嫌だったんじゃなかろうか。
だからトレーナーという方法で手を貸したかったんじゃなかろうか。

今週、牛島がまあまあの選手なんてのは嫌だと語った。「ドガァン!」が「ドバギャアン!!!」になれると、何か牛島の現状に対して思うところがあるようだった。
19歳の岩ちゃんは擬音まみれで思い付きでまだそれを具体的に説得力をもって語れない。
でもどうにかできるんじゃないかという情熱をもうすでに持ってる。きっとそれを言葉やトレーニングメニューに落とし込む方法を学ぶために異国の地に立ってる。
だからまさかそんなことになるとは思わなかったんだけど、これまでの描写をも踏まえて、トレーナーという道はとてもすとんと納得させられてしまった。

伏線

そんなわけで、岩ちゃんがトレーナーを目指す話としてこれまでの岩ちゃんが出てくるシーンを振り返ってみると、思った以上に、それも初登場の頃から一本筋の通った話になってるんじゃないのと驚いた。

でもその筋が伏線だったとはやっぱり思えない。
岩ちゃんは及川さんのために作り込まれていったキャラだと思うというところは今週を読んだ今でも変わらない。

古舘先生ってご自分で一度書いたものを簡単には捨てないよなあと思う。
烏野の消えた上級生とかあるにはあるけど、たとえば1話目でボールを追いかけなかった国見ってキャラクターの造形としてそんなに深く考えられてない気がする。
フィクションでよく見るキャラだ。格下相手に全力出してどうすんのってそういうテンプレートなキャラ。そしてそういうキャラはしばしば相手を見くびって痛い目を見る。
なまじハイキューという漫画がバレーボールに対して真摯な分、強豪校の青城のスタメンキャラとして起用するに当たっては個人的には結構扱いづらい性質だったんじゃないかなあという気がする。
でもそこは曲げずに、手を抜きがちではあるけれど、バレーに対して不真面目なわけではなく力の抜きどころ・入れどころを考えている省エネキャラということにしてしまった。
こうやって仮に不都合だったとしても(ただ最初期国見が不都合っていうのは私の印象に過ぎないというのは念を押したい)、過去の要素を大事にして、見方を変えてみたり組み合わせたりして話の中に組み込んでしまう。
ハイキューってそういうところがあるなあと思っていた。
よく言ってたんだけど後付け力だ。古舘先生は伏線力というよりはこの後付け力がべらぼうに高いんじゃないかと思っているし、週刊紙連載においてはものすごい強みなんじゃないかと思うんだけどそれは置いといて。
だから今週描かれた岩ちゃんの未来というか現在も、いつ考えられたのかまではわからないけど初登場時には考えられてたいたとは到底思えない。
でもその初登場シーンから読み返してみても、今週を読んでから読んでみると裏に岩ちゃんの物語があたかも最初から潜んでいたように見えて、味わいがまた変わってくるんじゃないかなと思った。
きっとこれまでの岩ちゃんの描写を大事にして丁寧に拾っていったその先に今週があったんだと思う。
すごいなあ。

部活のバレーと競技のバレー

ハイキューには部活しているキャラと競技しているキャラがいるよねということは、「60話考」でも触れてきたところなのだけど、終章が始まったことでそれがより鮮明になったと思う。
舞台がバレー部から競技バレーに移ってみると、キャラクターたちの立ち位置も変わって見える。
ライバル校のある種の脇役たちだった(そして脇役であるべきだった)木兎、牛島、宮、星海、佐久早いう面々は競技バレー漫画となった今においては主要なキャラになっている。そして及川さんもまたそんな存在感を滲ませて登場した。
部活の話をメインにしていた高校編に彼らの主張が強くなりすぎると、読者の戸惑いが出てきてしまうと思う。しかし今、部活の時代から競技としてのバレーに向き合ってきた彼らがもう脇役に収まっている理由はない。
そうやって競技としてのバレーをしてきた者たちがスポットを浴びる一方で、競技という舞台ではバレーボール競技周辺の話も支流になりうるのだと感じた。
何度も言ってるけど及川さんの関わらない高校編の岩ちゃん個人は役割的にモブに近かったと思う。バレーボールの漫画において岩ちゃんは自分のバレーボールについて語ることがほとんどなかった。だから岩ちゃんを通じて描きたいことはないんだろうなと思っていた。
でもトレーナーという道を示されてみると、バレーボール周辺にはそういう側面を担っている人もいるんだという1つの支流に見えてくる。競技バレーのプレイヤーたちを主題に置いた終章では、もうモブではなくて意味を持った脇役に見える。岩ちゃんは自分のバレーボールを語ることができる。
岩ちゃんは遂に自分の物語を持ったんだなあ。

幸せになれない呪い

岩ちゃんは現在の時間軸においては弟子入りして修行中、見習いトレーナーだろう。
でもきっといつか空井さんの元を離れてやってくんじゃないかなと思う。
そうなった時にどういうトレーナーになるんだろうという話。
もちろんこれから描かれるかもしれないからそうだといいなあってだけの話なんだけど。

17巻番外編で岩ちゃんは及川さんに呪いをかけた。
じいさんになるくらいまで幸せになれないと。
これについては、「番外編考」で解釈してる。
じいさんになるくらいまでの長い時間をバレーを追っかけて満足できずに過ごしているんだから幸せにはなれないんだと。

岩ちゃんが選んだトレーナーという道はこの呪いを強化するものなんじゃないかと思う。
岩ちゃんが読み込んでいた空井さんの著書は『ケガに泣いた僕がケガに泣きたくない人に見てほしいバレーボールフィジカルトレーニングの本』というタイトルだった。
選手たちは体が資本だろう。その体のコンディションを整えるということは選手生命を引き伸ばすことにもきっと繋がってくる。
ここまできて岩ちゃんが及川さんを見ないというのも不自然な話な気がするからきっと岩ちゃんは及川さんのことも見るんだろう。岩ちゃんは及川さんの選手生命を引き伸ばすし、第一線から引退した後だってより長くバレーに向き合えるようにしてしまうんじゃないかな。
そうすると「じいさんになるくらいまで」というアバウトな期限がたぶん延びてしまう。及川さんは人生において満足できない、幸せになれない時間の割合が増えてしまうのだ。

そしてさらに上乗せで呪いを強化することもできる。

岩ちゃんはきっといいトレーナーになると思う。
どこかのチームの専属にはならずにフリーになるとする。
そして及川さんのライバルたちや下から突き上げてくる才能たちのコンディションも整えていく。
そうすると周囲のレベルも上がって及川さんの満足ハードルはまたどんどん高くなっていく。辛く苦しいことも増えるかもしれない。
でもそうやって、バレーの世界が充実していくのは嫌な顔しながらも及川さんも含めて皆望むところなんじゃないかな。

岩ちゃんは呪いを強化する。
「じいさんになるくらいまで」は延びる。満足のハードルは高くなる。
でもきっと、バレーを追いかけられなくなってその人生を振り返った時の幸せも、きっともっと大きなものになる。

それは及川さんのバレーをきっと誰より愛してる岩ちゃんの、最高のサポートなんじゃないかなと思った。



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